2017年8月4日金曜日

マムシの遺影。


みなさまごきげんよう♪

こちら神河町へ引っ越してきてあっという間に4ヶ月が経ちました。

現在8月ですが今のところクーラー無し(元々無い)、テレビ無しの生活ですが

流石にテレビ位は見れるようにしようと思いつつ快適に生活しております。

特に夜は涼しい風が窓から吹き込み、熱帯夜という言葉は遠く霧散してしまいました。


当初から所謂スローライフ的な生活スタイルを目指しているわけではありませんで

実際の所はこの季節、草刈り等もありますし家の補修にバイクの製作、修理と

全くスローなんてモノではありませんw


時間というものには限りがありますから、スローかファストかなんて速度的な事よりも

どんな時間を、どんな風に過ごしているかという所が大事なのだと思います。

当然、生活をガラッと変えてしまう訳で失うものも少なくありませんが

手に入るものも多いです。


一番の変化は子どもたちで、外で遊びまくるようになりました。

以前の家は直近に踏切、前の道路は交通量が多く中々目が離せない状況でしたが

今では玩具らしい玩具が無くとも外で草花や石ころ、蛙と遊んでいます。

そして健全な生活の基本である早寝早起きができるようになりました。

以前は私が朝から夜中までずっと仕事していましたので、

特に長男が中々眠ろうとせずに難儀したものでした。

今では夕方一緒に遊んで一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って一緒に布団に入る。

そういう当たり前の事が出来るようになったのは大きいです。


ものすごい勢いで雨が降ったり。


その後スカッと晴れてみたりと


気候や天候に関しても、雨が別段嫌いではなくなりました。

雨が降れば田んぼの蛙は喜び山からは蒸気がわき立ち色々な香りが周囲を包みますし

晴れ上がって熱気がムンムンしてきてもこりゃイイ汗かけるぜって感じですね。


ただ、虫やその他生物の多さはもの凄くて、カメムシの大量発生にはじまり

ムカデも大量発生、次は蛙が、その次は蝉と大いに忙しいですね。

特に悪臭を発するカメムシと刺されると痛いムカデは結構困ります。

他には不快害虫と呼ばれるカマドウマやヤスデ、クモなんてのもわんさと居ます。


さらにヤモリにトカゲそして蛇の類ですが、特に蛇。

シマヘビや青大将は確認していましたが、先日ついにマムシと遭遇しました。

真夜中のコウバの勝手口の前での事です。

この時、私は多いに葛藤しました。マムシを見ながら1時間以上は考えていました。

つまりはこの目の前で蜷局を巻き、牙に毒を持つ蛇を殺めるか否か。

つい先日も月1の神社掃除でもマムシの亡骸を目にしたばかりでして。

事実、この蛇は私を襲いに来た訳ではありませんし、

ただ目の前で何もせずじっとしているだけな訳です。

マムシに関しても調べたりしながら、ハブよりも強い毒を持つ事

死に至るような重篤な状況になるのは処置の甘さによるものということも理解しました。


それでも結果的には私は彼を殺めました。

と言うのも幼い子供がマムシに噛まれた場合

それを的確に訴える事が出来ずに重篤な状況に陥る可能性が高いと判断したからです。

それでも考える事は多く。

例えば彼を逃がしたとして次の日に我が子や隣の婆ちゃんがマムシに噛まれたらどうする

とか

それって自分のせいみたいになるってのが嫌なだけなんじゃないのか?

とか。

そもそもカメムシやムカデを散々退治しているのに、蛇という大きな生体になると

「かわいそう」という感情が出てくるっていうのは何なのか?

実際に出没するムカデは10cmオーバーは当たり前で、

模型かよ!っていうくらいに大きくてですね。

ムカデですら「かわいそう」と思いながら熱湯をかけたりしています。

その体の大きさで「命」としての見方が変わるものなのかといえば

そうなんでしょう。

血を吸って痒みを残していく「蚊」なんて速攻で叩き殺すわけです。

前述の不快害虫の類の場合、嫌われる理由は「きしょいから」です。

ゴキブリが良い例だと思いますが、彼らに何かされたかと言えば

別に何もされていないんですが、「駆除」の対象ですね。

人間のエゴといえばそれまでなのかもしれませんが

愛護するのであれば毒まで愛する覚悟がなければならないと。

私が思っている「かわいそう」なんて上っ面だけのキレイゴトだよなと。

そして私は立場上すべての「命」を愛でるほどの覚悟は無いのだとも思い至りました。

お釈迦様ですらムカデに噛まれてブチ切れて殺生されたと言いますが

極論的なことを言えば水掛け論ですし、答えの出ない事でもあると思います。

ただ、「命」について積極的に考えるという機会を与えられているというのも

ここで暮らしている価値なのではないかと

マムシの亡骸を子供たちと拝みながら思う今日この頃です。